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大阪地方裁判所 昭和35年(ヨ)1135号 判決 1961年10月19日

申請人 前栄三

被申請人 神戸全但タクシー株式会社 外一名

主文

被申請人神戸全但タクシー株式会社は申請人をその従業員として取扱い且つ申請人に対し昭和三五年三月一六日以降一ケ月金二三、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払え。

被申請人大阪全但タクシー株式会社は申請人に対し昭和三五年三月一六日以降一ケ月金三、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払え。

申請人の被申請人大阪全但タクシー株式会社に対するその余の申請を棄却する。

訴訟費用は被申請人等の負担とする。

(注、無保証)

事実

申請人代理人は「主文第一項同旨並びに被申請人大阪全但タクシー株式会社は申請人に対し昭和三五年三月一六日以降一ケ月金六、〇〇〇円の割合による金員を毎月末日限り支払え。訴訟費用は被申請人等の負担とする。」との判決を求め、その理由として、次のとおり述べた。

一、(イ) 被申請人神戸全但タクシー株式会社(以下、神戸全但と略称する)は従業員約一五〇名を有し、被申請人大阪全但タクシー株式会社(以下、大阪全但と略称する)は従業員約一八〇名を有する、いずれも自動車による旅客運送を事業目的とする会社で、もともと兵庫県養父郡八鹿町に本店を有する全但交通株式会社(以下、全但交通と略称する)が大阪市、神戸市に発展進出したものであつて両社とも代表取締役並びに資本系統を同じくする、全但交通傘下の所謂姉妹会社であるところ、申請人は昭和二八年八月二一日タクシー運転手として大阪全但に雇傭されて爾来同社に勤務していたものであるが、昭和三三年八月神戸全但が西宮タクシー株式会社を買収してその傘下に収め同じ事業目的のために新たに西宮交通株式会社(以下、西宮交通と略称する)として発足させるに及び、昭和三四年一月一日付(辞令面)で申請人は大阪全但から出向社員として転勤を命ぜられて西宮交通に転勤し(法的にいえば大阪全但との雇傭契約を合意解除し新に西宮交通と雇傭契約を締結したことになる)、更にその後昭和三五年一月一日西宮交通が神戸全但に吸収合併されるに及んで申請人と西宮交通との間の雇傭契約上の権利義務は当然神戸全但に承継されて爾来申請人は神戸全但の従業員として引続き同社宝塚公園前営業所に勤務していたものである。

(ロ) ところで申請人は西宮交通へ転勤するまで大阪全但から毎月末日限り一ケ月金二九、〇〇〇円の賃金(但し昭和三四年一月現在を基準とした平均賃金)を支給されていたのに転勤先である西宮交通から支給されるべき賃金は一ケ月金二三、〇〇〇円であつたので、右転勤に際し大阪全但はその差額全額を自社において毎月補償支給することを約し申請人は右補償を条件として転勤を承諾したものであるところ、右補償契約は申請人が西宮交通たると神戸全但たるとを問わず大阪全但と代表取締役並びに資本系統を同じくする全但各社(他に京都全但タクシー株式会社がある)の従業員たる身分を保有し且つ賃金差額が存する限り大阪全但がこれを補償する趣旨であつた。しかるところ、西宮交通だけでなく神戸全但においても毎月末限り支給される申請人の一ケ月の賃金(但し、昭和三五年三月現在を基準とした平均賃金)は金二三、〇〇〇円であつたから、申請人は西宮交通に転勤して以降神戸全但の従業員になつても大阪全但に対し毎月賃金差額六、〇〇〇円の支払請求権があるわけであり、かくて申請人は右補償契約に基き西宮交通に転勤以来神戸全但になつてからも引続き大阪全但から毎月三、〇〇〇円を受領していたものであるが、残額三、〇〇〇円は申請人の要求にも拘らず、理由を明らかにせずその支給を拒まれていた。

二、しかるところ、神戸全但は昭和三五年二月一六日同社宝塚営業所長をして口頭で申請人に対し解雇の予告をなさしめ、次いで同年三月一五日申請人に対し翌十六日付で解雇する旨記載した書面を交付して解雇の意思表示をした。しかしながら、右解雇は次の理由により無効であるから、申請人は依然神戸全但の従業員たる地位を有するものである。

(一)  右解雇は神戸全但の申請人に対する不当労働行為である。すなわち、

(イ)  申請人が運転手として大阪全但に入社した当時は、直接会社と雇傭関係にたつ運転手は約半数に過ぎず残りの半数は右運転手に更に雇われ、水揚料金から多額の自動車償却費その他の諸経費を差引いた残利益を会社三割運転手(直接会社と雇傭関係にたつ運転手)七割の割合で分配し右運転手はこれを更に自己の雇つている運転手に分配するという所謂償却制が行われていたため、賃金は低く会社と雇傭関係にない運転手は健康保険、失業保険の恩恵に浴し得ない等労働条件が劣悪であつたので昭和三〇年四月申請人が中心となつて従業員の殆んど全員であつた約一〇〇名で大阪全但タクシー労働組合(以下、大阪全但労組と略称する)を結成し、申請人はその執行委員兼書記となつて労働条件の改善を目ざして他の組合役員等と共に会社と団体交渉をし、又労組内に青年部を作りその学習活動を指導する傍ら、自からも大阪労働学校に学ぶ等して組合の組織力の強化とその活動の積極化に尽したが、これに対し会社の圧迫が行われるに及んで申請人は組合強化のため上部団体への加入の必要性を強調して右組合が昭和三一年二月総評大阪旅客自動車労働組合(以下、大旅と略称する)に加入する旨の決定をなすに至る原動力となり、大旅加入後はその中央委員となつて活動し、同年三月会社が大阪全但労組の山森、明田両執行委員解雇の挙に出るや申請人は右解雇の真意は組合弱体化にある旨を組合員に説いて解雇反対斗争の先頭に立ち、同年五月第二回組合大会で執行委員に再選され組織部長となるや討論会、懇談会を開いて組合の組織強化を説き大旅における組織部長会議には常に出席して他のタクシー会社労働組合員と交流し更に全但交通、大阪全但、神戸全但各労組の合同協議会結成のため各営業所を巡回してその必要性を説明する等の組織活動をなし、更に同年一〇月の賃上斗争に際してはデモ行進、労働歌合唱等の指導をして組合員の士気を鼓舞し、昭和三二年五月のメーデーに際しては大旅の実行委員、大阪全但労組の責任者となり同労組のメーデー参加を指導した。また同年六月の第三回組合大会で執行委員に三選、次いで昭和三三年六月の第四回組合大会で執行委員に四選されたが、右第四回大会で会社の圧力により大旅からの脱退の決議がなされるの止むなきに至つたので、その後申請人は執行委員会、青年部会等で大旅再加入の必要を強く訴え、また同年九月には退職金要求案を作成し会社に対する右要求と大旅への再加入とを組合の斗争計画とすることを執行委員会に提案して可決させた。

以上のような組合運動に対し会社(大阪全但)は組合の弱体化を企図し、昭和三一年三月巧みに解雇理由を作りあげて前記の如く山森、明田両執行委員を解雇するの挙にいで、また悪質の宣伝により前記三労組の合同協議会の結成を妨害し、或は大旅からの脱退を策して組合員に圧力をかける等して組合の強化を妨害する行為に出たほか、申請人自身に対しては、或は自家用車の運転手として他に就職することを勧めて暗に退職するよう誘い、これを拒否するや組合活動をしていると身の為にならぬ等申向けて申請人の組合活動を牽制し、或は悪質の宣伝によつて申請人と他の組合員との離間を策し、更に昭和三三年五月には申請人が乗客から不正の料金を受領した旨の虚構の事実を作出してこれを理由に申請人を解雇するの挙に出たが組合からその不当を追及されてこれを撤回して後も、申請人を公休廻りの所謂スペアーにして担当車を与えなかつたし、更に昭和三四年一月突然申請人に西宮交通へ転勤するよう命じ、右は、申請人の組合活動を阻止し組合の弱体化を目的とする不当労働行為人事であるとして組合が反対したため一応は撤回したものの、同年三月六日に至り突然申請人の西宮交通への転勤を再度発表し、これに対し組合は右同様の理由で反対したが会社は右命令を変更しないのみならず各組合員に対し不当の圧力を加えたため、申請人がこれ以上反対斗争をすれば組合分裂の虞あることを慮り止むなく右転勤を承諾するに及んで、遂に会社(大阪全但)は申請人排除の目的を達した。

(ロ)  申請人が右のようにして西宮交通(その営業所は宝塚にあつた。)に転勤になりその後西宮交通が神戸全但に吸収合併されて右営業所が神戸全但宝塚公園前営業所と改称され、ここに勤務中冒頭掲記の如く昭和三五年二月一六日本件解雇予告をうけたのであるが、その間申請人は大阪全但労組から送付される機関紙を西宮交通従業員に配付したり大阪全但、神戸全但、全但交通各労組の合同協議会結成につき大阪全但労組と交渉を持つたり、西宮交通従業員に対し真の労働組合結成を説いたりして労働運動を継続していたが、一方右宝塚営業所長は申請人に対し反組合的行動をとるよう指示してその活動を封殺せんとし、或はひそかに他の職員に申請人の行動を記録するよう指示したりして常に申請人の組合活動を監視していたし、西宮交通が神戸全但に吸収合併後大阪全但当時の組合活動の経歴から見て申請人が神戸全但労働組合の役員に選出される形勢となるやその矢先会社(神戸全但)は本件解雇の予告をなしたものであり、且つその解雇予告も口頭で理由を告げずなされ、その後同年三月一五日に交付された前記解雇通知の書面には解雇理由を単に「上司の命に服さない事実」と記載され、申請人のなした解雇理由の説明の要求に応じて同年三月二三日送付された書面では解雇理由を「西宮交通が神戸全但に合併したことによる企業整備による人員の合理化、幹部職員として会社業務に協力的であるべきに社内風紀を紊して他従業員に悪影響を及ぼしたこと」とする等その理由は一貫せず不明確なものであつた。

(ハ)  以上の各事実即ち、申請人の労働組合活動、これに対し大阪全但、西宮交通、神戸全但各社が組合並に申請人に対して執つた諸措置に、右各社が法人格は別であるとはいえ何れも代表取締役及び事業内容を同一にする社会的に一個の企業である(このことは、本件においてのみならず、従来から大阪全但、神戸全但、京都全但各社相互間に転勤という名目で自由に配置転換が行われていた事実が如実に示している。)点を綜合すると右各社の申請人に対する企業からの排除の意図は連続していたもの、いいかえると大阪全但は申請人の組合活動を嫌忌し企業からの排除を意図していたがこれを隠蔽し組合活動との密着を糊塗するため申請人を組合活動の殆んどできない部門(西宮交通)へ配置換して時間的間隔を置き、西宮交通が神戸全但に吸収合併されて再び申請人の組合活動の活溌化が予想されるに及んでその意図を同じくする神戸全但は申請人の組合活動をいち早く阻止すべく本件解雇に及んだものというべきであるから、右解雇は申請人の過去の大阪全但当時の組合活動及び将来予想される神戸全但での組合活動を理由とするものというべく、したがつて神戸全但の申請人に対する不当労働行為であるから、無効といわねばならない。

(二)  また、会社(神戸全但)のいう前記解雇理由は就業規則所定の解雇事由に該当しないし、仮りに形式的にこれに該当するとしても前記の如くそのいう解雇理由は一貫性がないから権利濫用の解雇といわねばならないから、いずれにせよ本件解雇は無効である。

三、以上の如く本件解雇は無効であつて申請人は依然神戸全但の従業員たる地位を有するにも拘らず、神戸全但はこれを否定して解雇が効力を生じたと主張する昭和三五年三月一六日以降申請人を従業員として取扱はず且つ賃金の支払を拒んでおり、大阪全但もまた右日時以降前記賃金差額補償契約に基く差額金の支払を全て拒んでいるので、申請人は神戸全但を相手に従業員地位確認並びに賃金支払の、またこれに附随して大阪全但を相手に賃金差額金の支払の、各本訴を提起すべく準備中であるが、申請人は賃金のみで生活している労働者にして本案判決まで放置されるときは毎日の生活に困窮するので本件仮処分申請に及んだものである。

次いで、被申請人の主張に対する答弁として次のとおり述べた。

主張のように神戸全但宝塚公園前営業所が企業整備の必要上人員整理をしなければならないような事態になかつたことは申請人を解雇して後、後任者を補充していることから見て明らかである。また申請人が主張のように飲酒し職務規律を紊乱し或は上司の諸注意に対し不遜、反抗的態度を示した事実は全くない。なお、申請人が西宮交通、神戸全但において労働組合員でなく且つ配車係であつたことは認めるけれども、労働組合員でなかつたのは西宮交通において未だ労働組合が結成されていなかつたことに基因するものであるし、また配車係が主張の如き権限地位を有することは否認する。配車係は他の労働者に対する労働条件の決定をなす権限をもたず、会社側の直接間接の代理人的地位にもなかつたから主張の如く「使用者の利益を代表すべき者」と考えることはできないし、また主張の如く労働組合員でない者に対し不当労働行為は成立しないと解すべき理由は少しもない。してみれば、本件においては主張の如く就業規則所定の解雇事由に該当する事実はないのであるから、被申請人の就業規則第五五条による解雇の主張は理由がないし、本件解雇が不当労働行為を構成することに変りはない。また、申請人が主張の日、神戸全但が大阪地方法務局に弁済供託した退職金(但し、これは大阪全但入社以来神戸全但に至るまでの勤続年数を通算して計算されるものである。)等金六四、〇〇五円を受領したことは認めるが、右受領に際し申請人は明確に、本件解雇の効力は争う、右金員は賃金として受領する旨通告してあるから、勿論解雇を承認したものでも、救済の利益を放棄したものでもない。(疎明省略)

被申請人等代理人は「本件各仮処分申請を却下する。申請費用は申請人の負担とする」旨の判決を求め、答弁として、次のとおり述べた。

申請人主張の一の(イ)の事実は認める。同一の(ロ)の事実中、申請人の大阪全但、西宮交通、神戸全但各社における賃金額が主張のとおりであることは認めるが、主張の如く大阪全但が賃金差額を補償することを約したり、またその差額を支払つた事実はない(仮りに、補償を約したとしても右のような単なる金銭債権の保全のため仮処分を求めることはできない。)同二の事実中、神戸全但が各主張の日、各主張の如き方法で申請人に対し解雇の予告並びに解雇の意思表示をしたことは認める。同二の(一)の(イ)の事実中、大阪全但に主張の日時大阪全但労組が結成されたこと、右労組と会社(大阪全但)との団体交渉の席に申請人が参加したこと、会社が昭和三四年一月申請人に対し西宮交通への転勤を命じたこと及びその後申請人がこれに応じ西宮交通に転勤したことは認めるが、その余の事実は争う。会社が申請人に対し右日時に同月一日付の西宮交通への転勤辞令を交付したとき申請人はこれを承知したが、二時間程経て組合三役を通じ右辞令を返却してきたものであるが、その後申請人との間に完全な了解ができ申請人は異議なく西宮交通へ転勤したものであるから、会社(大阪全但)に不当労働行為の成立する余地はない。同(一)の(ロ)の事実中、会社(神戸全但)が主張の日時、口頭による解雇の予告をしたこと、昭和三五年三月一五日交付した解雇通知の書面では解雇理由を主張の如く記載したこと及び申請人の解雇理由の説明要求に応じて同年三月二三日送付した書面に解雇理由を主張の如く記載したことは認めるがその余の事実は争う。右再度の書面は解雇の補足説明書である。同(一)の(ハ)の事実は争う。本件解雇は以下に述べるような理由から有効である。すなわち、

申請人が勤務していた西宮交通が神戸全但に吸収合併されて申請人も当然神戸全但の従業員となつたが、右合併の結果神戸全但は申請人の勤務していた神戸全但宝塚公園前営業所(合併前の西宮交通)の従前の営業不振を建直すため企業整備の必要上人員整理をしなければならない事態となつたうえ、もともと申請人は神戸全但においては配車係即ち、運転手を監督し、且つ自動車運転手にとつて労働条件に重大な影響を持つ新古車を割当てる権限並びに試採用者を本採用にするについての意見具申権を持ち、更に当直時には会社の留守を預り全責任を以て事態を処理せねばならない立場にあつたにも拘らず、昭和三五年一月以降勤務時間中屡々右営業所或は宝塚駅前酒店において単独又は他の運転手を誘つて飲酒する等の職務規律を紊乱する行為をなし且つ又上司の諸注意に対しても不遜の態度を示して反抗的言動をなしたので本来ならば懲戒解雇事由(就業規則第六五条第二、三、四の各号)に該当するところ、会社は申請人の将来を考えて就業規則第五五条(二、八、一二の各号に該当)に基き右条項に違反するものとして普通解雇に処したものであるから神戸全但のなした本件解雇はもとより有効であり、右解雇は何等申請人の組合活動と関聯はないから不当労働行為でも権利の濫用でもない。殊に申請人は西宮交通、神戸全但を通じて労働組合員ではなく前記の如き権限を有する配車係として労働組合法第二条第一号にいう「使用者の利益を代表すべき者」であつたから、斯様な者に対し不当労働行為が成立する余地はないのである。なおまた、会社(神戸全但)は、申請人が大阪全但を退職する際に強いて受領しなかつた退職金六三、二〇〇円を預り保管していたが、これと申請人の神戸全但における積立金八〇五円との合計金六四、〇〇五円を昭和三五年四月八日大阪地方法務局に弁済供託したところ、申請人は同年五月六日還付請求してこれを受領しているから解雇を承認したものといわねばならない。(疎明省略)

理由

一、神戸全但は従業員約一五〇名を有し、大阪全但は従業員約一八〇名を有する、いずれも自動車による旅客運送を事業目的とする会社で、もともと兵庫県養父郡八鹿町に本店を有する全但交通が、神戸市、大阪市に発展進出したものであつて、両社とも代表取締役並びに資本系統を同じくする、全但交通傘下の所謂姉妹会社であること、申請人は昭和二八年八月二一日タクシー運転手として大阪全但に雇われ同社に勤務していたが、昭和三三年八月神戸全但が西宮タクシー株式会社を買収してその傘下に収め同じ事業目的のために新に西宮交通として発足させるに及び、昭和三四年一月一日付(辞令面)で申請人は大阪全但から出向社員として転勤を命ぜられて西宮交通に転勤したこと、右転勤は法的に言えば、申請人が大阪全但との雇傭契約を合意解除し新に西宮交通と雇傭契約を締結したものであること、更にその後昭和三五年一月一日西宮交通が神戸全但に吸収合併されるに及んで申請人と西宮交通との間の雇傭契約上の権利義務は当然神戸全但に承継されて爾来申請人は神戸全但の従業員として引続き同社宝塚公園前営業所に勤務中、会社(神戸全但)は、昭和三五年二月一六日同社宝塚営業所長をして口頭で申請人に対し解雇の予告をなさしめ、次いで同年三月一五日申請人に対し翌一六日付で解雇する旨記載した書面を交付して解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いのないところである。

二、そこで右解雇が申請人主張のように不当労働行為に当るか否かにつき検討する。

(一)  解雇に至るまでの事情。

成立に争いのない甲第二号証、証人永口吾一、柴田英夫、綱島一三の各証言並に申請人本人訊問の結果によれば次の事実が疎明される。

(1)  申請人がタクシー運転手として大阪全但に入社した当時は右会社には未だ所謂償却制すなわち、会社に雇傭されている運転手と更に右運転手に雇われている運転手とがありタクシーの水揚料金から自動車償却費その他諸経費を控除した残利益を会社とこれと雇傭関係に立つ運転手とで分配し右分配をうけた運転手はこれを更に自己の雇つている運転手に分与するという制度が一部残存していたため賃金は低くその他の労働条件も劣悪であつたので、恰度その頃全但交通に労働組合が結成されたこと等にも刺戟されて従業員の間に労働組合を結成しようとする機運があつた。そこで、申請人及び同じ従業員であつた明田、山森その他二、三名の者が中心となつて、右機運を助長して組合結成を推進した結果、昭和三〇年四月、当時従業員の殆んど大部分であつた約一〇〇名を組合員として大阪全但労組が結成され、(主張の日時大阪全但労組が結成されたことは争いがない。)申請人は執行委員兼書記に選任され(なお、永口委員長、池田書記長、明田、山森、原の諸氏は執行委員となる)、他の組合役員と共に賃金値上、時間外手当の支給等労働条件の改善を要求して会社との団体交渉に当つた。

(2)  その後申請人は池田書記長と共に大阪労働学校に学んで青年部結成の準備をなし間もなく申請人が中心となつて文化活動、リクリエーシヨンによるサークル活動、労働歌の練習等を目的とする青年部を結成しその活動を指導した。

(3)  大阪全但労組は昭和三一年二月上部団体である大旅に加入したが、右加入は申請人及び明田、山森両執行委員が積極的に推進した。

(4)  同年三月頃会社は右明田、山森両名を同人が会社から金品その他の供応をうけたとの理由で解雇するの措置に出たが、その際申請人は右解雇は組合の弱体化を目的とする不当労働行為であるから組合は右両名を擁護すべきであると最も強硬に主張して会社の措置に反対した。

(5)  同年五月の組合大会で申請人は執行委員に再選され組織部長となるや、全但交通、大阪全但、神戸全但各労組は合同協議会を結成して団結を強化すべき旨を最も強く主張し、そのため所謂オルグとして各営業所を巡回してその必要性を強調し右協議会結成の機運を盛上げた。

(6)  同年一〇月の賃上斗争において申請人は執行委員として各組合員を指導し、また昭和三二年五月のメーデーでは大阪全但労組のメーデー実行委員として同労組のメーデー参加を指導し、同年六月の組合大会で執行委員に再選され、教宣部長となるや組合機関紙の発行、図書部の開設等に尽力した。

(7)  昭和三三年六月の組合大会で執行委員に再選されたが、同大会では一票の差で、大阪全但労組が大旅から脱退する旨の決議が可決されたので、その後も申請人は青年部会、執行委員会等に大旅への再加入を提案しその必要性を強調した。

(8)  一方、会社(大阪全但)が右のように明田、山森両執行委員を解雇したすぐ後の昭和三一年四月頃右会社の石田専務取締役は申請人に対し他会社の自家用運転手として就職するよう再三にわたり勧誘したが、申請人はこれを拒んでいた。

(9)  昭和三三年五月、申請人が一乗客から、そのいわれるままに、時間料金(メーター料金に比し一三〇円程高かつた)を受領し、会社へはメーター料金を納め、その差額は所謂チツプと考えて取得したことが一度あつたところ、会社は直ちに右の事実をとらえて着服横領だとし申請人に解雇を申渡したので、組合はこれを不当とし団体交渉した結果、会社は右解雇申渡を撤回したが、その後会社は申請人に担当車を与えず所謂下車勤にしたため申請人の実収入はかなり減少した。

(10)  昭和三四年一月四日、突然会社は申請人を社員に採用し(従前は運転手である)西宮交通へ転勤を命ずる旨の同年一月一日付辞令を申請人に交付せんとしたので、申請人は従前のまま組合役員として現職(運転手)に居ることを希望してこれを拒み更にこのことを組合執行委員会に評り、右は栄転という名の下に実は組合を弾圧するものであるとして組合の支援を求めたところ、執行委員会においても右趣旨を了解して満場一致で申請人を支援することに決し、会社側と団体交渉をした結果会社も一応右転勤発令を撤回したが、その後同年三月六日会社は突然再度申請人に対し右転勤を発令したので申請人はこれに抗議し会社と種々接渉したが、執行委員会においては前回と異り賛否両論に分れ組合が一致して右発令に反対斗争をするときは組合が分裂する虞があつた一方、当時申請人が毎月末限り大阪全但から支給されていた一ケ月の賃金(昭和三四年一月現在の平均賃金)は金二九、〇〇〇円であつたので(右賃金額については争いがない)申請人が会社との右接渉の際賃金額をも含めて将来の身分保障につき会社側に質したところ、会社を代理していた石田専務取締役は、西宮交通へ転勤しても右平均賃金だけは支払われるよう大阪全但の責任において保障すること換言すれば西宮交通での賃金が右平均賃金より低いときは大阪全但がその差額を補償支給する旨並びに将来の退職金についても大阪全但での勤務年数を通算して計算されるよう取計う旨を申請人に約束したので、申請人は止むなく同年一月一日付辞令を受取り右転勤承諾に踏切つた。かくて申請人が西宮交通へ転勤したところ、そこでの賃金は月額二三、〇〇〇円であつたし、神戸全但に吸収合併後も同会社から毎月末支給される一ケ月の賃金(昭和三五年三月現在の平均賃金)は金二三、〇〇〇円であつた(このことは争いがない。)ので、申請人は西宮交通へ転勤後右約束に基き大阪全但に対し賃金の差額月額六、〇〇〇円を請求したところ、大阪全但では追々昇給もあろうからとの理由で内三、〇〇〇円だけを支払いその余の支払を拒んだので申請人は止むなく月額三、〇〇〇円宛を爾後神戸全但になつてからも本件解雇に至るまで大阪全但から毎月受領していた。

(11)  申請人が西宮交通に転勤した当時、西宮交通の労働組合は壊滅状態にあり、また申請人自身も右組合員でなかつた(申請人が右組合員でなかつたことは争いない)ので、上部団体から交付されたビラ貼り等をした程度で積極的な労働運動はしなかつたが、西宮交通が吸収合併された神戸全但には労働組合があり、西宮交通の従業員(申請人も含め)は加入届を出せば何時でも右の組合員となりうる状況にあつたところ、一方西宮交通営業課長山本正男(後に神戸全但宝塚営業所長となる)は西宮交通従業員である綱島一三等に対し、ひそかに申請人の出勤退社の時間、勤務状態特に組合活動につき記録をとつて報告するよう指示を与えていた。

証人石田次朗、白岩幸一、山本正男の各証言中右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、他に右認定を左右すべき疎明はない。

ところで、右認定の事実によれば申請人は大阪全但労組において最も積極的に組合活動をした一人であつたことを認めるに難くなく、更に右認定の各事実と大阪全但、神戸全但とも代表取締役及び資本系統を同じくする、全但交通傘下の姉妹会社であり西宮交通は神戸全但傘下として発足し間もなく神戸全但に吸収合併された事実並びに成立に争いのない甲第一号証の一、二、三によつて認められる、吸収合併前の西宮交通の代表取締役もまた前二社のそれと同一人であるという事実と、申請人本人訊問の結果を綜合すれば、大阪全但会社幹部が申請人の組合活動を嫌悪していたのみならず、神戸全但会社幹部も申請人の大阪全但当時における積極的な組合活動を知悉してこれを嫌悪し同時に申請人が神戸全但においても将来同様に組合活動ないし労働運動を行うであろうことを恐れていたものと推認するに難くない。

(二)  被申請人主張の解雇事由について。

(イ)  被申請人主張のように神戸全但が西宮交通を吸収合併したことにより企業整備として宝塚公園前営業所の人員整理をしなければならない状態にあつたとの事実は全疎明を以てしても認めるに足らない。

(ロ)  証人田畑勉、米田猛、福山輝明の各証言の一部並びに申請人本人訊問の結果の一部を綜合すると、申請人は西宮交通、神戸全但各社を通じ配車係として勤務していたが(申請人が配車係であつたことは争いがない)配車係は顧客からの電話等による申込に応じて適宜配車をなしそのうえ夜勤中は運転手を監督する職責を有するものであるところ、申請人は西宮交通時代は精励にして何等の非難をきかなかつたが、神戸全但に合併後である昭和三五年一月四日ほか同年一月中に一、二回、同社宝塚公園前営業所で夜勤中客の一応途絶えた際に、夜勤明けの運転手等数名と共に他からの正月用もらい酒その他を飲酒した事実が一応認められ、右各証言及び本人訊問の結果並びに右各証言により成立の真正を認めうる乙第三号証の一(山本和男作成の報告書)、二(夜久大夫作成の報告書)、三(米田猛作成の報告書)、四(田畑勉の報告書)、三(横山嘉盛作成の報告書)、六(笠井豊作成の報告書)、の各記載内容のうち右認定に反する部分はにわかに措信しがたいところである。

(ハ)  被申請人主張の、申請人が上司の諸注意に対し不遜の態度を示し反抗的言動をなしたとの事実については、証人福山輝明の証言により申請人が上司である宝塚営業所長に自動車事故の状況を説明するに際し一度自己の足をもちいて方向等を指示したため同所長から叱責をうけたことのあつたことが窺えるほかは、他に右主張事実を認めるべき疎明はないし、特に証人内藤一二、山本正男、福山輝明の各証言を綜合すると、前記のように申請人が飲酒したことについて上司より申請人に対し本件解雇前には一度も直接に注意が与えられたことのない事実が疎明される。ところで、成立に争いのない乙第一号証(神戸全但就業規則)によれば、右規則第五五条には(普通)解雇事由として、第二号に「社内秩序・風紀を紊し他の従業員に悪影響を及ぼすとき」、第八号に「許可なく酒気を帯びたとき」、と定められており、また第六五条には懲戒事由として、第三号に「酒気を帯びて勤務し又は社内間の風紀を紊したとき」と定められていることが認められたところ、申請人のなした前記(ロ)の行為は一応は右の各号に該当するものと考えなければならない。しかしながら一方右規則第六四条によれば、懲戒の種類としては懲戒解雇のほかこれより軽い譴責その他の八種の懲戒方法が定められていることに徴すると、従業員を終局的に企業から排除する懲戒解雇或は普通解雇が許されるのは、従業員に単に懲戒事由或は普通解雇事由に該当する行為があつたというだけでは足らず企業経営秩序の維持上社会観念に照し当該従業員を企業から終局的に排除するを相当と認めるに足る程度にその行為の情の重い場合でなければならない趣旨である。そこで本件についてこれを見るに、右に認定したとおり、申請人は、夜勤中であるとはいえ、一応客足の途絶えた時刻にそれも明番の運転手らと正月のお祝気分もあつて飲酒したものであること、また右飲酒行為につき上司より申請人に対し一度も注意を与えていないこと(換言すれば反省を喚起していないこと)証人田畑勉、米田猛の証言により認められる申請人と共に飲酒した運転手らが取りたてて処分をうけてない事実、申請人らの飲酒行為により別段会社の業務に支障を来たしまたその信用などがそこなわれたことについて何の疎明もないことを考え合せると、如何に普通解雇であるとはいえ、右の行為をとらえて企業から終局的に排除することは行過ぎのそしりを免れないし、前記(ハ)認定の申請人の行為を以て前記普通解雇事由第二号或は右就業規則第六五条の懲戒事由第二号所定の「上長の指示・命令に従わず又社内の諸規程・諸制約に違反し秩序を紊したとき」或は同第四号所定の「勤務怠慢・素行不良等職場の秩序を紊したとき」に該当すると解することも困難である。そして如上の判断は成立に争いのない乙第二号証によつても左右することはできないと考える。

(三)  不当労働行為の成立

そして前記(一)(二)に説示した各事実、すなわち申請人が大阪全但労組の結成並びに結成後の組合活動を最も積極的に推進した一人であること、大阪全但の幹部が申請人の右組合活動を嫌悪していたこと、神戸全但は大阪全但の姉妹会社(代表取締役同一人)にして同会社幹部も申請人の大阪全但当時における積極的な組合活動を知悉、嫌悪し同時に申請人が神戸全但においても将来同様に組合活動を行うかも知れないと恐れていたこと、申請人の行為が就業規則所定の解雇事由に一応該当するとしても事前に何等の注意も与えずに解雇したこと、申請人と共に飲酒した運転手等が取りたてて処分もうけていない事実、本件解雇に際し会社(神戸全但)が申請人に対し昭和三五年三月一五日交付した解雇通知に記載した解雇理由とその後同年三月二三日送付した解雇理由を説明した書面に記載されたそれとは同一ではなく(このことは争いない)、したがつて解雇理由が一貫していないこと等をかれこれ綜合すると、会社(神戸全但)が申請人を就業規則に違反するとして解雇するに至つた決定的な動機は、申請人の過去における大阪全但での積極的な組合活動を嫌悪し同人の将来における神戸全但での組合活動を未然に阻止せんと意図したことにあると認めるのが相当である。

なお、被申請人は、申請人は神戸全但労組の組合員でなかつたから、不当労働行為は成立しないというが、組合員に対してでなければ不当労働行為は成立しないと解しなければならないいわれはないから右主張は失当である。

次いで、被申請人は、申請人は配車係であつたから労働組合法第二条第一号にいう「使用者の利益を代表する者」に該当しかような者に対して不当労働行為の成立する余地はないと云うが、前認定の如く配車係は顧客からの電話等による申込に応じて配車をするほか、夜勤中は運転手を監督すべき職責を有するが、だからと云つてこのことの故に右にいう「使用者の利益を代表する者」に当るとは解し難いのみならず、仮にこれに当るとしても右法条該当者に対しては不当労働行為が成立しないと解しなければならない根拠は見出しがたいから、右主張も採用の限りでない。

更に被申請人は、申請人が神戸全但供託にかゝる退職金六四、〇〇五円を昭和三五年五月六日還付請求のうえ受領したから解雇を承認した旨主張し、申請人が神戸全但の大阪地方法務局に弁済供託した退職金等六四、〇〇五円を右主張の日還付請求のうえ受領したことは当事者間に争いのないところであるが、申請人本人訊問の結果によれば、申請人は本件解雇以後引続き解雇の不当を主張しているところ、賃金の支払を絶たれ生活費に窮していたので生活費に充てるためと右解雇を争うための訴訟の費用も必要であつたのでこれにも充てるべく、神戸全但に対し賃金として受領する旨通知したうえ受領したことが疎明されるから、右受領の事実をもつて解雇を承認したものと解することはできない。

してみると、神戸全但のなした申請人に対する本件解雇は不当労働行為にして無効であり、したがつて申請人は依然神戸全但の従業員としての地位を有しているといわねばならない。

三  仮処分の必要性

申請人が神戸全但の従業員として一ケ月金二三、〇〇〇円の賃金(昭和三五年三月現在の平均賃金)を毎月末日限り支給されていたことは当事者間に争いなく、また申請人が賃金差額の補償として大阪全但から毎月金三、〇〇〇円宛を支給されていたことは既に認定したとおりであるが、本件解雇の意思表示がなされた昭和三五年三月一六日以降神戸全但は申請人を従業員として取扱わず且つ同日以降の賃金の支払を拒み、また大阪全但も右解雇を有効であるとして右補償金の支払を拒んでいることは弁論の全趣旨に照し明らかであるし、一方申請人が右賃金並びに補償金を生活の唯一の資としていたために本件解雇後生活費に困窮していることは申請人本人訊問の結果疎明されるから、申請人は本件仮処分を求める必要があるとしなければならない。尤も、申請人は前認定の賃金差額補償の約定により大阪全但に対し賃金の差額月額六、〇〇〇円の請求権があることは明らかであるが、(前認定の賃金差額補償の約定の成立した経緯、西宮交通は神戸全但の傘下の会社であつてこれに吸収合併されたものである点及び右合併により申請人が神戸全但の従業員になつて以後も、西宮交通の従業員であつた当時と同様大阪全但は申請人に対し賃金差額の補償として同額を支給していた事実から見ると、右補償の約定は申請人が西宮交通の従業員である場合に限らず神戸全但に合併されてその従業員となつても賃金差額の存する限りこれを補償支給する趣旨であつたものと認められる。)現実には昭和三四年三月西宮交通に転勤後本件解雇に至るまでの間月額三、〇〇〇円宛しか支給されていなかつたのであり且つ申請人はその間約一年間は神戸全但の賃金月額二三、〇〇〇円と右の差額補償金三、〇〇〇円とで、さしたる支障もなく一応の生活を維持してきたことが弁論の全趣旨から窺えるから、大阪全但からは月額三、〇〇〇円宛を支払わせることで保全の目的は一応達しうるものとせねばならない。

なお、被申請人は大阪全但に対する右請求権は単なる金銭債権であるから仮処分による保全の必要性がない旨主張するが、成る程申請人の大阪全但に対する右債権は雇傭契約に基く賃金債権とはいえないけれども、前認定の補償の約定の趣旨から考えれば実質的には賃金に等しいと見るべきであるから、保全の必要性において神戸全但に対する賃金債権との間に差等をつけるべきものではないと解するから、右主張は採用できない。

四  よつて申請人の本件仮処分申請は主文掲記の限度において理由があるから保証を立てしめずしてこれを認容し、その余は保全の必要性がないからこれを棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 中島孝信 荻田健治郎 山本矩夫)

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